アンジェラ・カーターの開かれた世界(奥畑豊/日本女子大学文学部・専任講師)

研究発表テーマ:Angela Carter, Several Perceptionsにおける政治の不在/不在の政治学ヴェトナム戦争と狂気

 ロンドンの大学院に留学中、大英博物館で英国のフェミニスト作家アンジェラ・カーターのアーカイヴ資料を読み漁っていた私は、彼女が一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけて日本に滞在していた際に記した未公刊ノートの中に“I can not accept/The real as real/Then how do I accept/A dream as a dream?”という詩句を見つけた。あとになって、この抜き書きが西行法師の「うつつをも現とさらに思はねば夢をば夢と何かおもはむ」(『山家集』)という短歌の英訳だったことを知って、私はとても興奮した。それというのも、カーターが日本で執筆したSF的長編『ホフマン博士の地獄の欲望装置』(一九七二年)の奇想天外な世界観が、驚くべきことにこの十二世紀の古歌によって見事に表現されていたからである。

 『ホフマン博士』は架空の国家の指導者であり理性の体現者でもある大臣と、あらゆる欲望や想像力の「解放」を目指すホフマン博士の一味とが繰り広げる「リアリティ戦争」を描いた作品である。ホフマンは「現実改変装置」を始めとする兵器や発明品を用いて、人々の日常を「気紛れな夢の領域」に変えてしまう。まさに西行が歌に詠んだように、そこでは現実と夢の境界線が不明瞭になり、人々は混沌というディストピアに巻き込まれてゆく。

 他の多くのカーター作品と同じく、この『ホフマン博士』も古今東西の様々な文化的遺物や断片を集積したかのような百科全書的な側面を持つ。事実、そこには日本の小説や東洋思想への暗示が読み取れるばかりか、古代ギリシアから現代に至る様々な文芸、哲学、民話、音楽、美術、映画、大衆文化の影響が流れ込んでいる。しかしながら、彼女の作品は決して読み手を拒むことはなく、むしろ参照される無数のテクストへと大きく「開かれ」ている。彼女はあらゆるテクストと軽やかに戯れ、時にフェミニストとしてそれらを大胆に再解釈しながら、われわれを広範な読書の体験へと誘ってくれるのである。(おくはた・ゆたか=英文学・英語圏文学)

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